山梨県中巨摩郡昭和町にある杉浦醫院(医院)は、約3300平方メートルの敷地に大正から昭和にかけて建てられた木造2階建ての病院が、明治時代に建てられた母屋と並立しています。病院玄関の左右には、「Dr.Sugiura’s Office Physician」と書かれた英字看板と当時のまま表札「杉浦醫院」が並んでいます。


 甲府盆地を中心に県内にまん延した地方病=日本住血吸虫症の研究と治療に生涯をかけた医師杉浦健造、三郎父子の業績を顕彰し、地方病終息に至る先人の足跡を伝承していくために、町は平成22年に杉浦家の土地・建物を購入し、杉浦家から全ての収蔵品の寄贈を受けました。平成24年8月13日に敷地内5つの建造物が国の登録有形文化財に登録されました。現在は、杉浦父子が、治療と研究を続けた病院と庭園に加え、裏の土蔵・納屋から車庫・温室までを公開して、本オープンするはこびとなりました。

多くの患者が治療を受けた診察室

薬室と薬棚


杉浦健造博士と三郎博士

 杉浦医院8代目の健造博士(1866〜1933年)は、地方病発症地の用水路に共通して宮入貝に似たカワニナが生息するという研究結果を発表し、「宮入貝」と「日本住血吸虫」発見の先駆者として著名です。
 動物実験を繰り返し、宮入貝を中間宿主にしたセルカリアが皮膚から侵入する感染ルートを突き止めた9代目三郎博士(1895〜1977年)は、米国の研究者も地方病の治療・予防の講習に訪れたという日本住血吸虫症の世界的権威です。

地方病撲滅に尽力した杉浦健造医師の胸像